日本代表は「ドラマ」である。
ブラジルW杯直前!!今日は昔話を・・・。このことを知っているのと知らないのとでは日本代表への愛情が全然違うでしょう!
80年代、90年代序盤の日本のサッカー界は人気も無く、国内は冷め切った状態でした。
しかし、93年Jリーグ開幕を期に一気にサッカーブームが到来します。
Jリーグの人気もあり、日本代表も実力がつきました。
日本のプライドを懸けた一戦
93年、カタール、ドーハのアルアハリ・スタジアム。94年のW杯アメリカ大会アジア地区最終予選が行われました。日本代表VSイラク代表。
1次予選で圧倒的な強さを見せつけた日本。最終予選は6チームの総当たり戦で上位2チームがアメリカ大会出場切符を得られるという仕組みでした。
残り1戦を残し日本は首位。最終戦イラク戦に勝てば、文句なし初のW杯出場が決まる試合でした。引き分けでも他の試合の結果次第では可能性はありました。
Gk1 松永成立
DF4 堀池巧
DF7 井原正巳
DF5 柱谷哲二
DF3 勝矢寿延
MF17 森保一
MF10 ラモス瑠偉
MF15 吉田光範
FW12 長谷川健太
FW16 中山雅史
FW11 三浦知良
というスタメンでした。
今後も語り継がれるであろう「ドーハの悲劇」
日本は北朝鮮戦から採用された変則3トップ気味の4-3-3のフォーメーション。韓国戦で好調だった北澤豪に替わり、出場停止明けの森保一がボランチで出場しました。
試合は開始5分に三浦知良のヘディングゴールで先制!前半は日本が試合を支配し前半を終えました。
しかし、イラクは後半に入るとポゼッションを高め優勢に試合を運び、55分に日本は同点ゴールを許す展開。その後もイラクペースで試合は進みました。無人のゴールへのシュートを外すなど、イラクはその後も幾度となく決定的なチャンスを得るもゴールにはなりませんでした。
逆に日本は69分にラモス瑠偉のスルーパスから中山雅史がシュート。これが入り、日本が勝ち越しに成功します。
イラクペースは変わらないまま時は過ぎ89分、日本のパスをカットしたイラクはカウンターを仕掛けCKを得ます。
このキック前に90分が過ぎアディショナルタイムに突入。
ここでイラクは意表を突くショートコーナーを選択します。ディフェンスに入った日本の三浦知良をワンフェイントでかわし、これをイラク選手がヘディングシュート。ボールはGK松永の右側をゆっくりと放物線を描き吸い込まれ、同点となりました。この時点で時間は90分を越えています。
イラクの同点ゴールが入った瞬間、サブメンバーを含めた日本代表選手の多くが放心状態となりその場に倒れ込みました。交代した中山雅史がうなだれる姿は強烈なインパクトを与えました。
試合終了後、フィールド上の日本代表選手は座り込み、ハンス・オフト監督や清雲コーチらに声をかけられていたのも覚えています。キャプテンの柱谷哲二は両手で顔を覆い号泣し、オフト監督と清雲コーチに抱え込まれてピッチを去りました。
ドーハの悲劇があったから5大会連続の出場がある
当時の試合のことを振り返るNHKの番組を見ましたが、涙が出ました。
ラモス瑠偉の思い、柱谷哲二の苦悩、三浦知良の功績などドーハ組の真実を知りました。それを考えるとアメリカ大会に出場してほしかったと心底思います。
この辛く厳しい出来事を乗り越え、この経験を糧にフランス大会、日韓大会、ドイツ大会、南アフリカ大会、ブラジル大会と連続出場を果たせたのです。
当時のドーハの悲劇を経験したメンバーは現在監督や解説者など様々な形で日本サッカー界を盛り上げています。
あの悔しさから20年余り・・・。当時少年だった彼らはブラジル大会でどんな輝きを放つでしょうか?